普陀山,四大佛教名山之一,是观音菩萨道场。
普陀山是大慈大悲观世音菩萨道场之一。
普陀山与“山西五台山文殊菩萨道场、四川峨眉山普贤菩萨道场、安徽九华山地藏王菩萨道场”,并称为中国四大佛教名山。
唐以后,历代帝王多次赐金扩建普陀山寺院,倡导观音文化。
公元967年,宋太祖赵匡胤首次钦派人到普陀山贡香幡,开了朝廷供奉先河。宋元丰三年(公元1080年),朝廷赐匾“宝陀观音寺”。
公元1214年,宋宁宗赵扩又赐匾额“圆通宝殿”,钦定普陀山为专供观音菩萨的地方。并根据佛经“补怛洛迦”,更山名为普陀洛迦山,也称为补陀洛迦山。由此,普陀山成为中国四大菩萨道场之一。
有缘者如果有旅游的机会,可以去参拜观音菩萨。
各位团友,我们现在已经来到了紫竹林。看过《西游记》的人都知道,紫竹林是观世音菩萨的住所。孙悟空好几次遇到危难,就翻筋斗来到南海紫竹林中求助观音大士。紫竹林,顾名思义,应是紫竹成林,但由于几经劫难,紫竹林遭到破坏。现在园林工人的努力下,已在原处新植紫竹3000余棵。
经过精心培育,现已成林,重现了观音道场的紫竹成林的景观。天王殿—圆通宝殿—大悲楼卧佛各位团友,现在我们所看到的就是大悲楼卧佛殿的卧佛,是一尊释加牟尼佛80岁涅磐时的佛像。释加牟尼像有很多种不同姿势的佛像,主要有坐像,立像和卧像三种。这个卧佛像呢是根据释加牟尼佛在婆罗双树间涅磐时的体态而塑造的,他面朝南方,侧身而卧,双脚直伸并拢,左手置于身体上,双目微合,很是自在安详。各位团友,这大悲楼的墙两旁画有释加牟尼佛从出生到涅磐的经过,大家可以去仔细地观赏一下。
各位团友,请大家转身看,这座小小的寺院就是普陀山的第一座寺院,叫“不肯去观音院”。它是普陀山佛教协会在20xx年兴建的。原先这里是一座三面简瓦粉墙围着一个小小的院落,里面有一间小平房,是一座精巧别致的小型佛寺。这种布局在传统上叫做“茅篷”。相传,唐咸通四年(公元916),有个叫慧锷的日本僧人从山西五台山请得观音圣像回国,经普陀莲花洋时,突然风浪大作,连续三天都不能渡过莲花洋。慧锷以为观音不肯东渡去日本,于是把观音圣像搁置在“潮音洞”附近的礁石上,被当地居民张氏请回家中供奉。从那以后,普陀山慢慢发展成为专门供奉观音的道场。而慧锷也成了“海天佛国”的开山祖师。
潮音洞
各位团友,大家看,这里有一个天然的石洞,岩石旁刻着“潮音洞”三个字。它是由清朝的康熙皇帝御赐的,相传这是菩萨现身的地方。潮音洞这个名字呢其实是一语双关,一方面因洞穴日夜吞吐海潮,声音好象打雷一样;另一方面借“潮音”比喻“佛音”,每当有浪的时候,声音好象观音在讲经说法,又如千万僧侣在诵经,好象佛在讲经,所以称之为“潮音洞”。大家看,这个洞是因为山石裂缝而形成的,从崖至洞底深大约有10米,这个洞的洞底通海,一半浸于海中,洞上方这两条缝隙形成的二门称为“天窗”,涨潮时,潮水涌入洞中,海浪和石头相撞击发出的声音好象打雷一样;而且晴天时,洞内像七彩霓虹闪现,非常壮观,这就是普陀十二景之一的“古洞潮音”。
禁止舍身燃指
各位团友,大家请看这块石碑,上面刻着“禁止舍身燃指”,这是明代万历年间立所。过去,有许多善男信女,用自己的手指当香烛,朝拜观音,以这种虔诚的形式求见观音现身,以求观音引渡到西方极乐世界去,也有人从崖上跳入潮音洞中。清代总兵蓝理为防止这种悲剧发生,就竖碑告示善男信女,不要违背观音菩萨大慈大悲、救苦救难的本意,劝人不要再做此类蠢事。
紫竹林位于普陀山东南端,和洛迦山隔海相望。人们常说的“紫竹林”不是一片紫色的竹子,而是紫竹林禅院、不肯去观音院、潮音洞等景点。这里是观音在普陀山最早的道场,也有许多人冲着“不肯去观音”的传说来此参访。
由停车场进入景区,遇路口直走是南海观音和观音跳,往左走到尽头便是紫竹林禅院。紫竹林禅院的山门和天王殿合二为一,造型很独特。天王殿正中的大门上耸出一门楼便成了山门的牌楼,门额上题写的“补袒紫竹林”是康有为的亲笔。寺院规模不大,主要建筑为圆通宝殿,里面供奉着紫竹观音坐像,可以在此祈福。此外,寺内的细节之处还有不少名家题写的匾额、对联,禅意浓厚,值得细细浏览。
出紫竹林禅院大门,沿着对面的小路往海边走,即是著名的不肯去观音院和潮音洞。在路上远远就能看到不肯去观音院前面的观海亭。寺院并不大,原来的古庵早已消失了,如今的建筑都是新建的,但这里是整个普陀山建寺最早的地方,是供佛之始,因此也是普陀山不能不游的地方。
不肯去观音院对面有潮音洞,半浸在海中的洞穴日夜吞吐着海潮,声若雷鸣。在此赏海景,远眺对面的洛迦山如一尊卧在海上的大佛,景色很美。传说这里曾是观音菩萨显灵的地方,因此善男信女们更愿意把这潮声看作菩萨的讲法声,让潮音洞多了几分神秘色彩。
这附近还有一块碑,刻着“禁止舍身燃指处”,说的是以前许多信徒来到这里,在潮音洞边跳洞舍身,或者在不肯去观音院前燃指,以为这样做就能早得正果,于是当地的督军在此立了这块碑。现在早已没人在此“舍身燃指”,而这段历史成了导游津津乐道的故事,碑刻则成了游人留影的标志。
游完紫竹林,步行即可到更南面朝拜33米高的南海观音像。此外,这里离码头很近,走回码头,顺路还可游览南天门和码头附近的景点。
普陀山は有名な観音道場で、五台山、峨眉山、九華山とともに仏教の四大名山と呼ばれています。
それは浙江省東部に位置して、舟山群島の中の1つの小島で、全島の面積の12。5平方キロメートル、形は蒼龍のようで海に横たわって、“海天仏国”、“南海の聖境”の称がもとからあります。唐塩通四年、日本僧の慧つばが五台山から観音像をもらって舟を浮かべて帰国し、普陀山沖を通って新羅の礁に触れて阻まれたと伝えられています。ここで上陸し、仏像を残して民家に奉納し、「観音院に行きたくない」と言われました。これは「仏選名山」です。普陀山が観音道場の始まりとなりました。
後の歴代の皇帝は貨幣を割いて建てられ、全盛期には3大寺、88庵院、128茅蓬、僧尼は4000人余りに達しました。毎年旧暦の2月19日観音の誕生日、6月19日観音が道を得た日、9月19日観音が家を出た日、四方の信徒が集まって仏国に縁を結んで、普陀山のたばこが火を焚いて、ろうそくの火が光り輝きます。仏事のたびに、信徒たちが礼拝を求める時、天象が現れて祥を現すことができて、更に普陀山の不思議、神聖、神秘の色を加えました。千年余りの仏事の活動を延長して、普陀山のこの方の鍾霊毓秀の浄土を使用して、深い仏教の文化の深い内包を沈積しました。観音大士は四海に縁を結んで、“すべての人の阿弥陀、戸戸は世音を見ます”、観音の信条はすでに学者に“半分のアジアの信条”と称されました。「普陀山の美しい風景をこう評した人がいます。「普陀山は四方を海に囲まれ、風光明媚で、四大仏教名山の中で唯一海にある仏教の景勝地として、「第一人間清浄地」と称されています。仏教の国の神秘的な色の寺塔の崖、山石の林の木の以外、島の上で林木の豊茂、鳥のさえずりの花の香り、樹齢の千年近くの古い樟の木があるだけではなくて、我が国の特有な普陀のガチョウの耳があります。島の周りは白い波に囲まれ、漁帆が競発され、銀の波が青々とした峰々、静かな古刹精舎を取り囲み、きらびやかで美しい絵巻を構成しています。「海に仙山があり、山は虚無の間にある」。普陀山はその観音道場の神聖な地位と美しい自然風景をもって国内外の観光名所として知られています。
私たちが心を込めて作った普陀山観光の攻略と観光スポットガイドの言葉を持って、この海天仏国に行きましょう。普陀山は中国仏教の四大名山で、浙江舟山群島の東の海上に位置しています。沈家と海を隔てて眺めています。舟山群島の千個の島々の中に景色が美しく、遺跡が多く、環境が良い小島があります。観世音菩薩を祀っています。観世音菩薩の道場です。もっと適当な言葉は普陀山を形容して、普陀山は舟山群島の多い島々の中の1つの小島で、ところが我が国の4大仏教の名山の1つ、観音道場で、山上の寺院の禅林の星羅棋布、普済寺、法雨寺、慧済寺の三大寺と30余り座禅院を含みます;山の古木が天に高くそびえ、梵音と波の音が入り交じっています。昔の人は「山と海の勝利をもって、普陀を推す」と褒められました。
普济寺位于普陀山灵鹫峰下,坐落在白华山南,为普陀山寺院之首,又称前寺(相对于法雨禅寺的"後寺")。它的前身为不肯去观音院,创建于唐咸通年间。
普济寺又名前寺,座落于灵鹫山麓。i983年,被国务院确定为汉族地区佛教全国重点寺院。它的前身是“不肯去观音院”。唐大中年间(847—859年),日僧慧锷请五台山观音像归国,因风阻上岸与山民张氏在潮音洞上共建此院供奉观音。后梁末帝贞明年间(915—920年),由“不肯去观音院”扩大为寺,后迁到现在这个地方的(一说最早的不肯去观音院即建于此地)。宋代先后改名为“五台圆光寺’’与“宝陀观音寺”,香火始盛。宋嘉定七年(1214年),皇帝御书“圆通宝殿”匾额,定为专供观音的寺院。明洪武十九年(1421年)实行海禁,命汤和进山烧殿毁佛,并将僧人迁到明州栖心寺(今宁波七塔寺),直至明孝宗弘治元年(1488年),才迎佛回山,重建寺院。明孝宗嘉靖年间(1522一1566年),普陀山的寺庙被毁,宝陀观音寺也未能幸免。明神宗万历三十三年(1605年),朝廷派太监张千来山扩建宝陀观音寺于灵鹫峰下,并赐额“护国永寿普陀禅寺”,寺庙规模宏大,一时甲于东南。康熙八年(1669年),荷兰殖民者入侵普陀,该寺除大殿未毁外,其余均荡然无存。康熙三十八年(1699年),修建护国永寿普陀禅寺,并赐额“普济群灵”,始称“普济禅寺”。清雍正九年(1731年),扩建殿堂及用房,寺庙规模之大,前所未有。
进入普济寺一般都要经过一个石牌坊,此坊四柱三门,高约20米,柱上横楣雕刻有精致的云绫和石葫芦。坊内北侧,树一石碑,上书,“文武官员军民人等到此下马。”据说这是皇帝立下的圣旨,过去官吏到此,文官下轿,武官下马,以示对观音菩萨的崇敬。
普济寺前有一个广约15亩的莲池,名叫海印池,亦名放生池,建于明代。池上筑桥三座。中间一座,桥面平阔,北接着普济寺的正门,南衔御碑亭。桥中有一湖心亭,又称八角亭,正对普济寺山门。周围玉液拥抱,粉墙环绕。夏日荷花盛开,绿叶田田,红花亭亭,景色迷人,憩此玩赏,凭栏临风,清香扑鼻,顿觉暑气全消,令人心旷神怡。桥南的御碑亭,在湖心亭前,与海印池相连。亭系清雍正九年(1731年)所建,中竖雍正所书丈六白玉碑一方,高3米,宽1。5米。碑文记载普陀山历史,碑额上雕龙栩栩如生,书法遒劲刚健。石刻非常精美,可谓双绝,碑极名贵。东面一座为拱桥,称永寿桥,长40米,宽7。5米,高6米,系明万历十四年(1586年)所建。桥上石栏柱头,刻有狮子40座,形态各异,生动逼真。石桥古朴典雅,为雕刻中的珍品。桥前有菩萨墙影壁,上书“观自在菩萨”五个大字,字高五尺,苍劲有力。相传观音菩萨悲智双圆,从悲则称观世音,从智则称观自在。墙旁刻有《心经》,颂云:“海上有山多圣贤,众宝所成极清净;勇猛丈夫观自在,为度众生住此山。”西面一座为长堍拱桥,四隅镂有龙首,逢雨水从龙嘴喷出,似袅袅轻烟。莲花池三面环山,四周古樟参天,每年六月莲花盛开,池中树影、亭影、桥影倒映,构成一幅美妙的图画。夏夜入静,荷香沁人,池中银花伴月影,形成普陀山十景之一——“莲池夜月”,令人流连忘返。
普济寺占地37019平方米,共有10殿、12楼、7堂、7轩,计23l间,建筑面积11400平方米。全寺有六进殿堂,自南向北贯串在一条中轴线上。
山门
面宽五间,重檐歇山,正山门平时关闭,僧人游客均从东山门出入。僧人圆寂后由西山门出寺。
御碑殿
在山门内,有明万历、清康熙时的御碑三块,正中一块刻的是普济禅寺历史沿革,立于3。5吨重的赑屃上,赑屃昂首伸颈,服珠能转动,可见其雕刻之精。
钟鼓楼
山门东侧是钟楼,重檐歇山,内悬大铜钟一口,重3500余公斤,铸于清嘉庆十二年(1807年)。西侧有鼓楼,建筑形式同钟楼。每天清晨撞钟,傍晚击鼓,召集僧众参加活动,这就是古代诗文中常说的“晨钟暮鼓”。
天王殿
亦称金刚殿,面宽五间,进深四间,重檐歇山。进门迎面是一弥勒菩萨,光首、笑脸、袒胸、盘坐,一手拿一只布袋。据说他能将世人一切苦难装入布袋之中。佛像两旁有一副对联:“慈颜含笑笑天下之可笑之人,大腹可容容世间难容之事”,以劝人们慈悲大度为怀,用乐观态度对待风雨变幻的生活。弥勒菩萨后面的塑像是韦驮菩萨,昂然挺立,手持宝杵,据传韦驮是神将之首,常于东、南、西三州巡游,守护伽蓝,属护法神。两旁的四大天王宛如四名卫士在维护法门,他们是东、南、西、北四个方面的天王,各自手里拿着法器。殿后有香樟8株,直径0。8—2米多,植茂盖庭。
大圆通殿
是普济寺的主殿,相当一般寺庙的大雄宝殿,圆通是观音菩萨的别号,这座殿供奉的正是观音菩萨。殿堂宏大巍峨,殿面阔7间,进深6间,重檐歇山,黄琉璃顶,九踩斗拱,门心板雕二龙戏珠。大殿可容数千人,有“活大殿”之称。殿前平台周有石雕栏板,台中有钢鼎炉,高约4米,上铸,“普济禅寺”、“千秋宝鼎”、“光绪辛丑(即1901年)冬月吉旦”等字样。殿内正中端坐着高达8。8米(毗卢观音趺伽坐像本身高6。5米,座高2。3米)的观音菩萨,全身金黄,眉清目秀,慈祥含笑,身边站立着她的门徒善财和龙女,神态天真活泼。
东西两壁又各塑有16尊不同服饰,不同形态的菩萨,称观音三十二应身,即观音以不同身份教化世人时的现身说法形象。她们是:辟支佛身、声闻身、梵王身、帝释身、自在天身、大自在天身、天大将军身、毗沙门身、小王身、长者身、居士身、宰官身、婆罗门身、比丘身、比丘尼身、优婆寒塞身、优婆夷身、长者妇女身、居士妇女身、宰官妇女身、婆罗门妇女身、童男身、童女身、天身、龙身、夜叉身、乾闼婆身、阿修罗身、边楼罗身、紧那罗身、摩睺罗迦身、执金刚神身。再加上中间供奉的观音佛身,共33身。这种塑法是观音道场的独特之处。主殿两旁建有配殿。东首文殊殿,供奉应化于五台山的文殊菩萨;西首普贤殿,供奉应化于峨眉山的普贤菩萨。两侧回廊是罗汉堂,各塑9尊共18尊罗汉。
法堂
面宽5间,重檐歇山,楼下是法堂,楼上为藏经楼。收藏着万卷经书。两侧又有配殿,东首为普门殿,西首为地藏殿,供奉应化于九华山的地藏菩萨。这样排列,把中国四大佛山的主佛,都集中在一起了,宾主相比,使“震旦第一佛国”棗普陀山主佛观音菩萨显得更为突出。再两侧东首是客堂,是接待香客和外来僧人、接洽佛事之处,西首也是客堂。
后殿立有功德碑,是供募化资金、建寺有功的人留名用的。
方丈殿
5开间,殿内陈设清净,简朴大方。殿东首为库房,殿西现为普陀山佛教协会办公室。
功德殿
在寺最后,是佛教信徒为其祖宗立位做功德的佛堂。殿堂四周附设斋堂、僧舍等。
普济寺内有龙眼泉、菩提泉、菩提井,均为煮云雾佛茶的上品泉水。过去在附近设有茶室,招待香客。这就是普陀山十景之一“静室茶烟”的所在地。
普济寺后湾有真歇庵遗址,为本山禅宗第一代祖师真歇和尚修静处,其东无畏石高五丈、周百丈,上携“海天春晓”、“空有境”,并有一对联“寰区照瑞相,刹海遍潮音”。石巅过去有真歇禅师塔。西例另有岩。寺西过去有“清静庵”(又称“三摩地”),境中有亭,今已不存。
普济寺东南,海印池旁立有普陀山三宝之一的多宝塔。元元统年间(1333一1334年),普陀山僧孚中托钵江南,见姑苏盛产美石,便立志建塔。孚中名怀信,浙江奉化人,天历二年(1329年)迁住普陀山。元顺帝曾赐号“广慧妙语智空宏教禅师”。他住持宝陀观音寺(即今普济禅寺)14年,以勤俭简朴著称,为兴建名山道场;多次外出云游募化,得到江南诸藩王隆重接待,太子宣让王等出资建造多宝塔;故又名太子塔。塔全用太湖石砌成,呈方派共五层,高32米,塔取《法华经》多宝佛塔之义定名。桃台石栏柱端刻有护天神狮及莲花。座基较宽,平台的转角处及四周栏下饰有螭首,作张口吐水状。
第二层之蟠龙柱,体态雄健,纹饰线条流畅。余上三层,塔身每面镌有佛像一尊,全伽趺坐式,形象生动。塔刹为仰莲宝瓶。整座建筑造型别致,雕工精巧,具有浓郁的元代风格。象这样的元塔,全国已罕见,现被列为省级重点保护文物。昔日,每当清晨,人们在太子塔院中闻听由普济寺传来的碎扬钟声,颇能启人遐想,发人幽思,这就是普陀十二景之一的“宝塔闻钟”。
普济寺后有一石,宛如三扇门板并竖,状如宝岛,叫“灵鹫石”,又名“慈云石”,上刻明会稽陶望龄的题词:“鹫岭慈云”。
石隙间有泉流入寺,清冽有香气。明丁继嗣诗中“皈心来宝地,蹑足上慈云。泉溜穿橱入,昙香满院闻……何幸逢林远,幽探绝世氛”。说的便是这慈云石的胜况。
普济寺是普陀山的佛教活动中心,一切重大的佛舜活动在此举行。十年动乱中,殿宇佛像受到破坏。1979年,国家重视名山修复,贯彻落实宗教政策,今殿堂楼阁,已修葺一新。每日来普济寺进香的善男信女和寻胜探幽的旅游者络绎不绝。
各位游客:
你们好!
一路辛苦了,欢迎来到中国四大佛教名山之一——普陀山。
普陀山与山西五台山,四川峨眉山,安徽九华山并称为中国四大佛教名山,是观世音菩萨教化众生的道场。普陀山是舟山群岛1390个岛屿中的一个小岛,它形似苍龙卧海,面积近13平方公里,与沈家门隔海相望,素有“海天佛国”之称。
今天我们又游览的第一个景点是西天景区,景点分布有二龟听法石,磐陀石......
(二龟听法石前)
这二龟听法石的由来有一个故事:有一天,观世音菩萨在给二龟讲经,它们在课堂上打打闹闹,原来一天可以讲完的经却花了七七四十九天,观世音菩萨很生气,就把它们点化为石留在普陀山上。
(磐陀石前)
磐陀石由上下俩石相累而成,上下俩石接缝处间隙如线,似接未接,好似一石空悬于一石之上,实在是不可思议的一大奇观,不过大家要注意安全,不要爬石。
由于时间关系,我们今天的游览就告一段落,虽然我们没有游览完景区的所有景点,但我相信大家的身心在与大自然的亲密接触中得到了放松。
欢迎大家下次再来。
皆様、こんにちは。北普陀山風観光スポットへようこそ。
北普陀山観光スポットは錦州城の西北7キロのところにあります。国家AAAA級の景勝地であり、観光客に人気のある遼寧五十佳観光スポットの一つです。歴史では関外第一佛山と呼ばれ、南普陀山とはるかに向かい合っています。観音菩薩が北方で顕化した道場です。敷地面積は27。26平方キロメートルで、今から1400年余りの歴史があります。
「中国仏教史」によると、錦州北普陀山は隋唐時、つまり紀元6200 __年に老母山、観音洞は老母洞と呼ばれています。遼太祖天顕二年(920__年)大遼国太子耶律倍は弟の耶律徳光に陥れられました。ここに来て、追っ手に毒矢で撃たれました。幸い、楊柳玉瓶を手にしたおばあさんに助けられました。このおばあさんは観音菩薩が顕化したのです。山上の漢方薬と霊愁泉を使って治療しました。治癒後、耶律倍はここで五日まで隠居しました。行きます。
天顕十四年(920__年)遼太祖の皇后さまが太子の跡を追ってここに来て、太子がすでに去ったことを発見しました。太后のそばに大徳高僧がいました。徳韶といいます。「老母の山は南海普陀湖のようです。また観音菩薩が顕化した道場です。北普陀山とは呼ばれませんか?」と皇后さまにお願いしました。ここで修行して、北普陀山の線香が日に日に盛んになります。
一、円通宝殿
まず来たのは円通宝殿で、中には千手千眼観世音菩薩と様々な姿をしている十八羅漢が祀られています。また仏陀の十八人の弟子です。十八羅漢は最初は十八人の悪人で、観音菩薩が彼らを降服させ、羅漢に変化させ、彼らに異なる法器を授けて人類を救って、衆生をあまねく救済しました。
みんなは千の手の千の目の観世音菩薩を見て、全部で四十二の手があって、それぞれの手はそれぞれ1つあって、美しい目は25種類の機能があって、中間の2首の合掌を除いて、両側はそれぞれ20匹の手があって、千の手の千目と称します。この観音は三つの目があります。中には天眼があり、人の世のすべてを照らすことができます。過去、現在、未来を代表して、手をつないで衆生を保護することを表します。
二、石棚松雪
私達が石段に上がって見たのは錦州八景の一つの石棚松雪です。この古松は500年以上の歴史があります。この蒼々として力強く伸びていて、雄深蒼々としている古松の木の幹は鳳凰のようです。樹冠は鳳凰の尾で、全体の形は鳳凰のように山岡に見えます。
この石の壁には弥勒仏、大腹仏、布袋和尚が祀られています。「大人はたくさんいます。宰相のおなかには船があります」という人間像を教えてくれました。次の「金光普照」という大きな字は乾隆歳の辛亥の暑月の題ですが、十年の大災害で破壊されました。当時の有識者が破壊された破片を保存してこそ、回復後の乾隆の真跡が見えます。次の詩は同じ治世年間の知州李源作です。
三、観音古洞
続いて1400年以上の歴史があり、北普陀山霊気がある観音古洞を見学します。考証によると、当時大遼国の太子耶律倍はここに避難しました。この穴に隠れて天顕五年になりました。ここで祭られているのは正観音であり、また聖観音とも言われています。観音の様々な宝像の総代表です。千手観音、水滴観音、首の曲がった老母も彼の化身です。
彼の両側は善才と龍女で、この古い瓶と蓮の花台の下の席は乾隆五十六年(1791年)の間に残しました。その後、私達の彩色図で完全に保存しました。左は地蔵王菩薩で、菩薩は仏の前で大きな願いを立てました。「地獄は空ではなく、仏にならない」。彼は知恵の光を使って、衆生をあまねく照らしました。
四、大士閣
ここは大士閣で、仏教の三大菩薩を祀っています。山西五台山は文殊菩薩の顕化の道場で、文殊は知恵の第一と称して、衆菩薩の首で、また王子を呼びます。彼は獅子に乗ります。知恵と威力を象徴しています。
中間の観音菩薩は観世音の略称で、唐太宗の李世民が“世”を忌むので、観音と略称します。観音菩薩はその大慈大悲、苦を求めて難を救ったので、大悲菩薩と呼ばれています。彼の身は麒麟に乗り、民間のマスコットです。
普賢菩薩顕化道場は四川峨眉山で、普賢菩薩は仏門を推賞する善で、すべてのところに普及して、功徳無量と言えます。普賢菩薩は釈迦の右肋骨で、仏教は彼が「礼徳」を専管して「大行」を表していると言われています。だから彼の尊称は「大行菩薩」です。彼は真理の化身で、如意棒を持って、六牙の象に乗り、仏界のマスコットです。三人の菩薩が教えてくれた慈悲は理性に基づいて、感情的に行動してはいけません。理知は行動の中に実行して、理論と実践を結合して、古人の雲が言ったのは良いより良いです。みんなは実践の中でこそ、幸せな人生が得られます。
五、大石棚洞
今来たのは大石棚洞です。この大きな穴は雨が降って自然に形成されたものです。全国的にも景色が素晴らしいと言えます。
ここに祭られているのは木質観音像で、彼は玉瓶を持っています。両目が閉じていて、優しい感じがします。彼の左側に立っているのは善財童子で、彼が生まれた時に、各種の宝物が部屋の中の地下から突然湧いてきたので、善財と名付けられました。财宝が无駄に送られてきたが、彼は生まれつき财宝を爱していない。
善財はまず文殊菩薩に教えを請い、また53人の先生を参拝しました。彼の第27位の先生は観音菩薩で、善財は普陀山まで教えを求めます途中海に出会って行く手を遮って、観音は海上の船の労働試験になってその誠意を試験して、善経は試練を受けて、そこで観音は彼を助けて海を渡って、彼は正果を修得した後に、観音の左協の侍になりました。
長い回廊を通り抜けると「とりわけ恵まれた」という碑が見えます。1777年に書かれた嘉慶皇帝の師ワイルドが書いたものです。当時王爾烈は朝陽に行って学友の親友を訪問して、帰り道に北普陀山を通る時、ここの景色が壮観で、霊ショーの地です。
六、万仏堂
ここでは承徳避暑山荘の建築様式を採用しています。周りの木質仏壇(kan)には全部で860体の小仏があり、法界十カ国を代表しています。中には三尊大仏があります。彼らはお釈迦様より早く成仏しました。仏教を発揚していないので、古仏と呼ばれています。
この二つの塔は清代本寺三十三世禅師如信法師(1720 __年)の霊骨塔で、一つは1994年に入滅した尊賢法師の舎利塔です。
七、財神廟
上に行くと、財神廟です。当時は耶律倍が勉強していたところで、紅雨山房と呼ばれていました。現在奉られているのは関公、武財神で、伽藍ピザとも呼ばれています。関公の一生は任侠心、剛正非阿、忠孝節として知られています。彼は普通の武将が神様になったので、民俗信仰の主な神です。関公の左側は関平で、関羽の子で、右側は周倉で、関羽の刀部将です。
八、観音菩薩の真の姿
20__年7月2日午後1時ごろ、雨が降ったばかりです。北普陀寺円通宝殿の西のあずまやに来た女性観光客が夢の中の本物の仏を探しています。観音菩薩にお参りに行く途中、観音古洞の空の方向にある「老母盤が蓮の花の玉座に座っている姿を見て、雲のそばから来たお付きのお侍さん」と驚きました。既に。
観音の古洞の大石棚の洞真仏は現世で、老母が再び顕現化しました。その時、観光客の一人が偶然にこの風景を見て、カメラを持って写真を撮って寺の中に奉納しました。
北普陀山観光スポットはここまで説明します。ご来店ありがとうございます。
当您看到眼前的这片茂密的紫竹以及同样为紫色的.石头时,我们就来到紫竹林景区了,您也许觉得"紫竹林"这个名气非常耳熟吧?看过《西游记》的朋友应该都记得,紫竹林就是观世音菩萨的住所,唐僧师徒在取经路上好几次遇到危难,孙悟空都是翻筋斗到南海紫竹林求助的观音大士。
紫竹林中有一座始建于明朝的紫竹林禅院,因为建在海边,涛声阵阵,所以最初也叫"听潮庵",民国八年即公元1919年,康有为为这里题写了"紫竹林禅院"的匾额,禅院内供奉着"紫竹观音"坐像,是普陀山重要的历史文化景点之一。
往海边走,您可以看到前面的一块石碑上,刻着"",是明代万历年间官府所设。
原来,过去许多善男信女到普陀山朝拜时,为表虔诚,在自己的手指上缠上棉花,沾上烛油点燃,作为香烛,希望能求见观音现身,引渡自己到西方极乐世界去。
明朝驻当地的一位督军觉得这种做法有违佛家慈悲为怀、普渡众生的本意,便颁令禁止并立此碑,言明如果再有人这样做,就一定要缉办。
从此,这种风气才慢慢被禁止下来。
随着历史的变迁,石碑上的裂纹随处可见,碑文也有些残缺不全了。
石碑旁边有一堵黄色矮墙围着三间朴质的佛堂,这就是普陀山著名的"不肯去观音院",相传在唐咸通年间,日本僧人慧锷大师从五台山请得观音像乘船归国,经过普陀莲花洋的时候,突然风浪大作,船不能通行,此时慧锷省悟到,可能是观音菩萨不肯离开中国故土去日本。
于是他祈祷说,如是观音菩萨不肯去日本,那么就在船到之处建庙供奉。
船在普陀山下平安靠岸后,慧锷与岛上居民便在紫竹林中建了一座"不肯去观音院",这也就是普陀山作为观音道场的来历。
潮音洞 各位团友?大家看?这里有一个天然的石洞?岩石旁刻着“潮音洞”三个字。
它是由清朝的康熙皇帝御赐的?相传这是菩萨现身的地方。
大家看?这个洞是因为山石裂缝而形成的?从崖至洞底深大约有10米?这个洞的洞底通海?一半浸于海中?洞上方这两条缝隙形成的二门称为“天窗”?涨潮时?潮水涌入洞中?海浪和石头相撞击发出的声音好象打雷一样?而且晴天时?洞内像七彩霓虹闪现?非常壮观?这就是普陀十二景之一的“古洞潮音
洛迦山 各位团友请朝东面看?对面就是洛迦山?它的形状很像一尊观音菩萨安详地躺在莲花洋上面?头?颈?胸?腹?足都很清楚?这叫“睡观音”?也称“海上佛”。
大家往山顶看?有一座塔像巨人一样立在那里?这就是新建的五百罗汉塔。
洛迦山虽近在眼前?但海中波涛汹涌?古时有朝拜者须经过24个莲花浪方能得渡彼岸的传说。
普陀山是著名的观音道场,与五台山、峨眉山、九华山并称为佛教四大名山。它位于浙江省东部,是舟山群岛中的一个小岛,全岛面积12。5平方公里,形似苍龙卧海,素有"海天佛国"、"南海圣境" 之称。 唐咸通年间,日本僧人慧锷大师从五台山请观音像乘船归国,乘船行至普陀山附近的莲花洋时,因为风浪所阻,触礁,以为观音不肯东渡,于是便在潮音洞上岸,建"不肯去观音院",成为普陀佛教开山之起始。后历代皇帝拨币累建,全盛时期,曾有3大寺,88庵院,128茅蓬,僧尼达4000余人。
每年农历二月十九观音诞辰日、六月十九观音得道日、九月十九观音出家日,四方信众聚缘佛国,普陀山香烟燎绕、烛火辉煌;诵经礼佛,通宵达旦,其盛况令人叹为观止。每逢佛事,信众求拜,时有天象显祥,更增添了普陀山的神奇、神圣、神秘的色彩。绵延千余年的佛事活动,使普陀山这方钟灵毓秀之净土,积淀了深厚的佛教文化底蕴。观音大士结缘四海,"人人阿弥陀,户户观世音",观音信仰已被学者称为"半个亚洲的信仰。"
有人曾经对普陀山的美景作出这样的评价:"以山而兼湖之胜,则推西湖;以山而兼海之胜,当推普陀。"普陀山四面环海,风光旖旎,作为四大佛教名山中唯一坐落于海上的佛教胜地,被誉为"第一人间清净地"。除了充满佛国神秘色彩的寺塔摩崖、山石林木以外,岛上林木丰茂、鸟语花香,不仅有树龄近千年的古樟树,还有我国特有的普陀鹅耳枥。而岛四周白浪环绕、渔帆竞发,银涛金沙环绕着青翠的峰峦、幽静的古刹精舍,构成了一幅绚丽多姿的画卷。
"海上有仙山,山在虚无缥渺间"。普陀山以其观音道场的神圣地位,以及优美的自然风景,成为驰誉中外的旅游胜地。相信您也已经迫不及待地想踏上这次朝圣之旅了,现在就请带上我们精心为您打造的普陀山游览攻略,以及景点导游词,随我一同走进这海天佛国吧。
各位游客们:
大家好!
普陀山是著名的观音道场,与五台山、峨眉山、九华山并称为佛教四大名山。它位于浙江省东部,是舟山群岛中的一个小岛,全岛面积12.5平方公里,形似苍龙卧海,素有"海天佛国"、"南海圣境"之称。
相传,唐咸通四年,日僧慧锷从五台山请得观音像泛舟回国,途经普陀山海面时触新罗礁受阻,于此地登岸,留佛像于民宅中供奉,称“不肯去观音院”,这就是“佛选名山”——普陀山成为观音道场的开始
后历代皇帝拨币累建,全盛时期,曾有3大寺,88庵院,128茅蓬,僧尼达4000余人。每年农历二月十九观音诞辰日、六月十九观音得道日、九月十九观音出家日,四方信众聚缘佛国,普陀山香烟燎绕、烛火辉煌;诵经礼佛,通宵达旦,其盛况令人叹为观止。每逢佛事,信众求拜,时有天象显祥,更增添了普陀山的神奇、神圣、神秘的色彩。绵延千余年的佛事活动,使普陀山这方钟灵毓秀之净土,积淀了深厚的佛教文化底蕴。观音大士结缘四海,"人人阿弥陀,户户观世音",观音信仰已被学者称为"半个亚洲的信仰。"
有人曾经对普陀山的美景作出这样的评价:"以山而兼湖之胜,则推西湖;以山而兼海之胜,当推普陀。"普陀山四面环海,风光旖旎,作为四大佛教名山中唯一坐落于海上的佛教胜地,被誉为"第一人间清净地"。除了充满佛国神秘色彩的寺塔摩崖、山石林木以外,岛上林木丰茂、鸟语花香,不仅有树龄近千年的古樟树,还有我国特有的普陀鹅耳枥。而岛四周白浪环绕、渔帆竞发,银涛金沙环绕着青翠的峰峦、幽静的古刹精舍,构成了一幅绚丽多姿的画卷。
"海上有仙山,山在虚无缥渺间"。普陀山以其观音道场的神圣地位,以及优美的自然风景,成为驰誉中外的旅游胜地。相信您也已经迫不及待地想踏上这次朝圣之旅了,现在就请带上我们精心为您打造的普陀山游览攻略,以及景点导游词,随我一同走进这海天佛国吧普陀山是我国佛教的四大名山,位于浙江舟山群岛以东的海面上,与沈家门隔海相望,系舟山群岛上千座岛屿中一处风光优美、古迹众多、环境怡人的小岛,这里供奉观世音菩萨,是观世音菩萨的道场,享有“海天佛国”、“南海圣境”等美誉想不出比“海天佛国”更适合的词汇来形容普陀山,普陀山是舟山群岛众多岛屿中的一个小岛,却是我国四大佛教名山之一、观音道场,山上寺院禅林星罗棋布,包括普济寺、法雨寺、慧济寺三大寺和三十余座禅院;山中古木参天、梵音与涛声交织,古人曾以“以山兼海之胜,当推普陀”赞之。
各位游客朋友,大家好!“以山而兼湖之胜,则推西湖;以山而兼海之胜,当推普陀。”现在我们来到的就是素有"海天佛国"、"南海圣境"之称的普陀山了。
普陀山是浙江省舟山群岛1390个岛屿中的一个小岛,全岛面积12.5平方公里(南北长8.6公里,东西宽3.5公里),形似苍龙卧海。普陀山位于舟山群岛东部海域,与舟山本岛隔海相望,岸距沈家门6.5公里。岛呈菱形,南北走向,地势西北高峻,东南平缓,最高峰白华顶海拔291.3米。海岸曲折,北部和东南部多沙滩。岛上林木苍郁,金沙铺岸,礁石嶙峋,山秀海美。
普陀山,与九华山、峨嵋山、五台山并列我国佛教四大名山,是首批国家重点风景名胜区,素有“海天佛国”、“南海圣境”之称。2007年5月8日,舟山市普陀山风景名胜区经国家旅游局正式批准为国家5A级旅游景区。“海上有仙山,山在虚无缥渺间”。
普陀山以其神奇、神圣、神秘,成为驰誉中外的旅游胜地。普陀山梵语音译作“普陀洛迦”,或“补陀洛迦”、“普陀罗伽”等,汉语意为“美丽的小白华(花)”,故有白华山之称。相传西汉末年,南昌尉梅福曾到此山居洞炼丹,故唐宋以前,普陀山也称“梅山”。
普陀山四面环海,风光旖旎,幽幻独特,被誉为“第一人间清净地”。山石林木、寺塔崖刻、梵音涛声,皆充满佛国神秘色彩。岛上树木丰茂,古樟遍野,鸟语花香,素有“海岛植物园”之称。
全山共有百年以上树木66种、1221株。不仅有千年古樟,还有我国特有的珍稀濒危物种、被列为国家一级保护植物的普陀鹅耳枥。普陀山盛产我国著名的“四大海鱼”产品(大黄鱼、小黄鱼、带鱼和墨斗鱼),尤以黄鱼、墨斗鱼最为有名。每年盛夏捕鱼旺季到时,正是采购新鲜海产品的大好时机。
“佛手”是普陀山特有的贝类,是当地特产,每年8月才能尝到。其形似佛的五指展开,两瓣吻合,饶有情趣,煮熟之后吃来香味四溢,鲜而不腻,是海中独特的珍品。另外,“佛瓜”(普陀山盛产的一种西瓜,以皮薄、肉红、甘甜为特点,为清暑解渴的好品种)、云雾佛茶、南海紫菜、还魂草、催生子、石菜花、观音水仙、紫竹都是普陀山特有的,如有兴趣不妨带回一二。
普陀山是全国著名的观音道场。其宗教活动可溯于秦,山上原始道教、仙人炼丹遗迹随处可觅。唐大中元年(公元847年),有梵僧来谒潮音洞,感应观音化身,为说妙法,灵迹始著。唐咸通四年(公元863年),日僧慧锷大师从五台山请观音像乘船归国,舟至莲花洋,触礁,以为观音不肯东渡,乃留圣像于潮音洞侧供奉,遂有“不肯去观音”。后经历代兴建,寺院林立。
鼎盛时期,全山共有3大寺、88庵、128茅蓬,4000余僧侣,史称“震旦第一佛国”。每年农历二月十九观音诞辰日、六月十九观音得道日、九月十九观音出家日,四方信众聚缘佛国,普陀山烛火辉煌、香烟燎绕;诵经礼佛,通宵达旦,其盛况令人叹为观止。每逢佛事,时有天象显祥,信众求拜,灵验屡现。
绵延千余年的佛事活动,使普陀山这方钟灵毓秀之净土,积淀了深厚的佛教文化底蕴。观音大士结缘四海,有句俗语叫:“人人阿弥陀,户户观世音”,观音信仰已被学者称为“半个亚洲的信仰。”
普陀山主要景点有三大寺:普济禅寺、法雨禅寺、慧济禅寺。普陀山的标志南海观音大铜像、紫竹林,还有以自然景观和寺庙相结合的西天景区。每到夏日来临,来普避暑的游客纷纷聚集到浙江省第一个海滨浴场一百步沙,使普陀山又增加了一道亮丽的景观。
歴史的な名城の錦州の西北に十数里行って、山の峰と険しい谷がくねくねと連なっていて、飛泉の雲と山が横生する妙境の名山の景勝地があります。これは声震遼海、京華を放送する関外第一佛山――錦州北普陀山です。
北普陀山の開山は歴史が長く、文化的な深い内包があります。唐武徳元年には诸端寺刹が建立されました。朝の鐘夕鼓梵音法号は年を経てゆらゆらとしています。瑞雲喜雨龍光清嵐の百代の舡が立ち込めています。だから世間の人はみな南インド普陀ロック山北院を称しています。遼の時代まで、また国の皇帝の耶律の倍をこの山に長く居住させますため、大徳の高僧の徳韶を通じて(通って)遼太后を演奏してもらって、正式に北普陀山に決めて、天下に有名です。中でも燕雲十六州を貫く有名な「石堂松雪、楓林旭日、蒼山観海、紅石臥龍、滴水観音、泓池澄暉、烽台夕照」などの景観で世界に知られています。明清の二代、さらに遼西の「第一洞天」で海内に名を知られ、仏、道両教の高僧、宗師と信徒たちが巡礼する聖地です。
北普陀山は奇特な壮観な連山を持っています。千姿百態の峰石、翠柏菩提が覆っている山泉、古木がかかっている絶壁。名峰、古刹、摩崖移歩即景、佳景天成。春にはウグイスの鳴き声が聞こえます。夏には桑林の鳴き声が聞こえます。秋にはハゼの赤い霜が染められます。冬には見られます。四時の景色は色とりどりで、勝利は奇笑ましく眺めています。九大観光地区は全部で50か所の景観があります。雲、石、水、穴、林、花、魚、鳥が渾然一体となっています。雄、危険、奇、幽、動、静、美、妙交相が生きています。まさに天と地、人の世の景勝地です。国家AAA級風景名勝区、遼寧五十佳景の大観。
錦州北普陀山の四季の美しい景色は各位の友達の遊ぶ楽しみを望みます!
我们现在来到的是普陀山的第一大寺——普济寺。普济寺又名前寺。它的前身是有名的不肯去
观音院。宋嘉定七年,皇帝御书圆通宝殿匾额,把这里定为专供观音的寺院。后来这里多次被毁,到了明神宗万历三十三年,朝廷派太监张千扩建宝陀观音寺,并赐额护国永寿普陀禅寺,寺院规模宏大,一时甲于东南。康熙三十八年,赐额普济群灵,到了雍正年间,基本形成了现在的规模,如今的普济寺,共有十殿、十二楼、七堂、七轩等共231间。普济寺前有一个高约20米的石牌坊,四柱三门,柱上横眉雕刻有精致的云绫和石葫芦。坊内北侧,树有一块石牌,写着文武官员军民人等到此下马。据传这是皇帝下达的圣旨,过去官吏到此,文官下轿,武官下马,以示对观音菩萨的崇敬。
石牌坊后是一个约15亩的莲池,名叫海印池,也叫放生池,建于明朝。海印是指佛的智慧能像大海一样,印现一切之法,而放生,则是与佛教的慈悲、不杀生等教义融合,进而发展成为的一种普遍的佛事活动。
海印池上有三座桥,走过中间的一座,您便可以来到御碑亭,它建于雍正年间,御碑的碑文上记载了普陀山的历史,碑额上雕龙栩栩如生,书法遒劲刚健,可谓双绝。当然,要是您感兴趣的话,还可以到东面的观自在菩萨墙看看,相传观音菩萨除了有大慈大悲的心肠外,还有广大的智慧可以看清世间万物,所以有时被称作观世音,指她能听到人民的疾苦声音,有时又被称为观自在,是指她体察世间万物的能力。
当您来到寺前肯定会奇怪的问:寺庙的正门关着,怎么进去呢?这里还有一个故事。相传乾隆皇帝夜游普陀山竟然忘了回去,当他返回到普济寺的时候寺院大门已经关了,他要求开门却遭到了拒绝。把门的小和尚说:国有国法,寺有寺规,乾隆没有办法只能从东山门进入寺内。乾隆回宫后对此极为恼怒,下了圣旨:从今以后,此门不能开。这也就延续到了现在,只有在国家元首、寺院菩萨开光或者方丈第一次进门时才能打开,平时的游客们就只能从旁边的侧门进入了。
经过供奉着弥勒佛的天王殿,我们便可来到普济寺中供奉观音菩萨的主殿——大圆通殿。殿堂面宽七间进六间,宏大巍峨,可容数千人,有百人共进不觉宽,千人共登不觉挤的说法,于是也被称为活大殿。走进大殿,可以看到正中供奉的一座毗卢观音像,高约九米,头戴毗卢天冠,天冠上有阿弥陀佛像,眉慈目善,慈祥含笑,身边还站立着善财和龙女,神态天真活泼。
在中国,观音菩萨可谓家喻户晓,妇孺皆知。据佛经记载,遇到危难时只要念诵其名号,菩萨就能听到,并前往拯救解脱,所以叫做观世音。唐时因避唐太宗李世民的讳,略去「世」字,简称「观音」,沿用至今。对大多数老百姓来说,不一定知道佛教的创始人释迦牟尼佛,但却很少有人不知道观音菩萨,观音实际上已成为民间佛教乃至整个民间宗教信仰的核心人物。
而我们眼前的这座观音殿为什么叫做圆通殿呢?其实啊,正是因为观音只要听到苦难的呼救声,便能眼观,表示耳根通,即眼、耳、鼻、舌、身、意六根通。于是圆通便成为了观音的代名词,其意是不偏倚,无阻碍,圆满通达。
毗卢观音两旁还各塑有16尊不同服饰和形态的观音菩萨,称为观音三十二应身,这些都是观音以不同身份教化世人的现身说法形象。三十二应身观音只能以整体形式供奉,不能单独出现,加上中间供奉的观音佛身,这种塑法也正是观音道场的独特之处。
主殿两边还各有一个配殿,东配殿供奉文殊菩萨,西配殿供奉普贤菩萨,另外在法堂中还建有地藏殿,供奉地藏菩萨。
游览完普济寺的大小殿堂,您还可以到位于其东南的多宝塔看看。多宝塔建于元朝,是由普陀山僧人从江南带回的太湖石堆砌而成,取《法华经》中的多宝佛塔之义定名。塔的外观朴拙,稳重端庄,不像中国传统的塔玲珑小巧,每层塔的四面都雕有佛龛,里边供奉着全跏趺坐式佛像,属于古代蒙古族统治者信仰的佛教密宗造型,极富元代风格。据考
察,这样的塔在中国只有两座,另一座在洛阳龙门石窟,所以它也有很高的文物价值。
多宝塔东面,就是普陀山著名的海滨浴场百步沙,这里沙质纯净、滩形优美,浪花连绵不绝,时间充裕的话你不妨前去感受一番。
親愛なる旅客の皆様:
私たちが来たところは有名な普陀山です。普陀山は有名な観音道場で、五台山、峨眉山、九華山とともに仏教の四大名山となっています。浙江省東部に位置し、「海仏天国」「南海聖境」と呼ばれています。皆さんは観光中にゴミを捨てないでください。
今来たのは普陀山の一番目のお寺ですか?普済寺です。前身は「観音院に行きたくない」という有名なお寺ですが、名前はおかしいですか?しかし、お寺に来る前に「お寺の門が閉まっています。どういうことですか?」と不思議に聞きます。ここには乾隆帝が庶民を装って普陀山に遊びに来たという話があります。夜は普済寺に入りたいです。お寺にはお寺の規則があります。「乾隆は仕方ないです。隣のドアから自慢して入ります。宮廷に帰ってから、乾隆は聖旨を下しました。これからは普済寺の門は開けられません。今まで続いて、国家の指導者だけが開けます。
旅行者たちは今法雨寺に来ました。法雨寺は普陀山の二番目のお寺です。法雨寺に入ると、九龍の壁が見られます。九龍の壁は六、七十の優良な青石でできています。すごい工芸です。
皆様、普陀山の旅は終わりました。お気に入ってください。
亲爱的朋友,现在您来到的就是普陀山的最高处——佛顶山了。这里又叫做菩萨顶,是信徒们顶礼膜拜的圣地,此外,由于其独特的地理位置,有时在这儿还可以欣赏到罕见的海市蜃楼和佛光景象,所以历来也有不上佛顶,等于未到普陀山的说法。
佛顶山上的慧济寺是普陀山最高的寺院,它雄踞山巅,倚天面海,仙云缭绕,风光壮阔,但因为建于山谷之间,占地面积有限,所以慧济寺的布局便以天王殿和大雄宝殿为短轴线,向两侧作不完全对称地展开,左右殿堂、钟楼、厢房等建筑,均以游廊相接,加之中间的天井,便组成多个院落。尤其是东院新建的汉白玉荷花池,雕栏玉砌,水亭曲桥,别有一番江南园林的风味。
慧济寺的主殿——大雄宝殿中,供奉着佛祖释迦牟尼和他的两位弟子阿难与迦叶。在主殿中供奉佛祖,与普陀山中其他寺院主殿供奉观音菩萨不同。原来啊,在山顶供奉佛祖而不是观音菩萨,暗示了佛祖至高无上的地位,即使在观音菩萨的道场,也是不能例外的。大殿两侧的厢房里,塑有二十诸天,简单点讲呢,他们是佛教的护法神。佛教认为,佛陀济世传播佛法之时,如果没有得力的护法人,则会佛道陨落,所以佛国中才有许多的护法天神存在。他们都具有非凡的神通能力。可以帮助佛陀传法,也可以震慑那些危害佛法的人。但是佛教的护法神可不仅仅是这二十诸天,而是一支庞大的队伍,这支队伍的名字叫做天龙八部,代表了八支部队,其中天部和龙部是最为重要的,而我们面前的二十诸天,就属于天部。为了表示这些护法天神对佛祖的尊敬,他们的姿态都是往前倾斜15度的,除了普陀山慧济寺以外,塑有这二十诸天的寺庙还有杭州的灵隐寺、北京大慧寺、以及大同的华严寺等。
当然,作为观音菩萨道场普陀山的三大寺庙之一,慧济寺也有专门供奉观音菩萨的殿堂,叫做观音殿,与其他寺庙的观音殿不同,这儿除了供奉有一尊2。7米高的观音菩萨像以外,四壁还镶嵌着总共100多尊线刻观音像,汇集了唐、宋、元、明、清五朝名家的绘画杰作,这些珍贵的观音宝像石刻,也是慧济寺重要的文物珍品。
慧济寺后门,有一株普陀鹅耳枥,据说它最早是古代一位缅甸僧人来普陀山朝拜时带来的,树高13米多,从地表处开始分两叉,往上分叉均一分为二,很有规则,并且雌雄同株,每年五月开花,十月中旬果子成熟。但因为其繁殖率极低,在其原产地缅甸早已绝迹,属世所稀有。因此它也就成了普陀的象征,成了佛界的菩提。
要是您对普陀山的其它珍贵植物感兴趣的话,不妨再到寺后坡下的新姜子木看看,这是一种仅见于浙江的珍稀树种,被誉为佛光树,每当春季农历二月十九观音诞辰之日,它的嫩梢枝叶上就披上金黄色的绒毛,在阳光里熠熠闪光,好像一个报春的使者,为海天佛国增光添彩。
从慧济寺出来,您还可以站在海拔300多米的佛顶山上远眺壮阔的海景,要是天气晴朗的话,可以看到舟山群岛中大大小小的岛屿像一朵朵莲花般点缀在中国东海之中,在这些群岛中,最著名的就是不远处的洛迦山。您看,洛迦山的形状像不像一尊慈眉善目的观音菩萨安详地躺在海面之上呢?要是仔细辨认的话,还可以分辨出她的头、颈、胸、足等等,所以它也被人们称为睡观音或海上卧佛。据说,观音当年就是在洛迦山修炼得道后,飘洋过海来到普陀山开辟了道场,所以不少前来普陀山的虔诚信徒都会乘船去洛迦山朝拜一番。
好了,佛顶山慧济寺就为您介绍到这里,如果您往南步行下山前往法雨寺的话,途中可以欣赏到不少石刻,其中刻在一块巨岩之上的海天佛国四个大字最为有名,传说是出自明代抗倭名将侯继高的手笔,已经成为了普陀山的一大代表性景观,有兴趣的话您不妨去拍照留念。
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